名古屋城(愛知)

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愛知県庁、名古屋市役所に隣接するここ名古屋城は、徳川家康の手により築城され織田信長誕生とされる城です。


別名   : 金鯱城、金城、柳城、亀屋城、蓬左城
築城   : 慶長14年 (1609年)
築城主  : 徳川家康

主な城主 : 尾張徳川氏
歴代城主
那古屋城 : 今川氏豊→織田信秀→織田信長→織田信光→林通勝。
名古屋城 : 徳川義直を藩祖とする尾張徳川家が明治維新まで居城する。

城郭構造 : 梯郭式平城
天守構造 : 連結式層塔型5層5階地下1階1612年築 (非現存) 1959年再建(SRC造・外観復元)
遺構   : 天守、正門
廃城年  : 明治4年 (1871年)
指定文化財: 国の重要文化財 (櫓3棟、門3棟)



正門から入った所が西の丸で、現存する隅櫓の一つ、西南隅櫓が見えてくる。

現名古屋城は、那古屋城(城主:今川氏豊)として、現在の名古屋城二ノ丸付近に大永5年(1525年) 今川氏親(義元の父)によって築城された。

天文元年(1532年)織田信長の父信秀が奪いここを居城として、信長が生まれる。後に、信長は清須城(現:清洲)に移り那古屋城は廃城となる。


西の丸隅櫓











本丸御殿跡地から見る天守閣

慶長5年(1600年) 関ヶ原合戦で徳川家康が勝利すると、家康の4男松平忠吉が清洲城に入城し尾張国を治めた。後に、九男義直が城主となるが地形的に防御に不備があると判断した家康が、信長生誕の地に新たな名古屋城の構築を決意、慶長15年(1610年) 西国諸大名(加藤清正・福島正則・前田利光)らに命じて工事が始まる。

築城に動員された数は20万人を超え、徳川家康の権力の偉大さが覗える。
慶長17年(1612年)本丸完成。


本丸御殿跡地から見る天守閣





天守閣より望む名古屋市街地

(NHK第174回 6月14日放送より)

昭和20年5月14日、アメリカのB29が名古屋を襲った。瞬く間に城は火の海となり金のシャチホコも炎に包まれ、溶けて無くなった。残ったのは、石垣だけだった。

戦後の復興が進む中、市民にとって名古屋城再建は悲願となった。そんな中、建設費の試算が出た。なんと当時の金額で6億円。復興期の公共事業が続く中で、出せる額ではなかった。

どうしても1億円のめどがたたなかった。計画中止の声が上がる中、立ち上がったのは名古屋市内の商店主たちだった。街頭での募金活動、戦国武将にふんしてのパレードなどで呼びかけた。予想をはるかに越えた2億円が集まった。

昭和30年、ついに名古屋市は名古屋城の再建を決定した。4年後の市制70周年を記念する一大イベントに位置づけた。


名古屋市街地





昭和34年(1959年) 市民の熱い思いにより大小天守閣が復元される。


本丸





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