犬山城(愛知)

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名鉄小牧線犬山駅北部に位置し、木曽川をバックに犬山市街地を望む丘上にある城です。


別名   : 白帝城(はくていじょう)
築城   : 文明元年 (1469年)
築城主  : 織田広近
主な城主 : 成瀬氏、織田氏
城郭構造 : 平山城
天守構造 : 複合式望楼型 3層4階地下2階 (1620年改)
遺構   : 現存天守、石垣、土塁
再建造物 : 櫓、門(模擬)
廃城年  : 明治4年 (1871年)
指定文化財: 国宝 (天守) (昭和10年(1935年)国宝に指定される。)



城下町を抜けていくと、正面よりやや左手に『国宝 犬山城』の石碑が見えてくる。天守閣へは、奥の赤い小さな橋を渡り木立の中を抜けていく。


犬山城入り口











天守閣への道のりは、他の城の構成とはちょっと違う。
通常はリズムの悪い階段で防御態勢を敷いているが、犬山城に関しては、長く続く石畳。しかし実際に登っていくと、これはこれで厳しいことが良く解る。


長く続く石畳





犬山城は、天文6年(1537年)に現在の位 置に天守が造営され、織田与次郎信康(織田信長の叔父)が城主となった。信康は天文16年(1547年) 岐阜の稲葉山城で戦死、その子織田十郎左衛門信清が代わって城主となりました。

その後何代か城主が代わり、文禄4年(1595年)は石川備前守光吉が城を守りました。その5年後。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、小笠原和泉守吉次が入城。この石川・小笠原両氏の手によって、近代の犬山城が完成されたのです。


犬山城





天正12年(1584年)の小牧長久手の戦いで功績を挙げた成瀬隼人正正成が城主となってからは、成瀬氏が継いで明治に至ります。明治4年、犬山城は9代目正肥の時に「廃藩置県」で廃城となってしまい、天守の他はほとんど取り壊されてしまった。

明治24年(1891年)の濃尾震災により、天守閣は大きな被害を受け、明治28年(1895年)修復や保存などを条件に、旧犬山藩主成瀬正肥(なるせまさみつ)へ無償譲渡され、全国唯一の個人所有の城と成った。

平成16年4月(2004年)財団法人「犬山城白帝文庫」 が設立され、城の所有者は成瀬家から財団法人になりました。


白帝城(はくていじょう)





天守閣より望む

木曽川の南岸の平野部にある丘陵を利用して築きあげられた犬山城。 最上階は展望台にもなっており、そこから望む景色は有数の城の中でも上位に有ることは間違いないだろう。

木曽御嶽山、恵那山、小牧山、濃尾平野、伊吹山、岐阜城、美濃の山々など、パノラマの景色が楽しめます。


天守閣より





もっと画像を見る。

国宝犬山城公式ウェブサイトへは こちら から





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